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麻原彰晃の子供の数は?嫁や家族の現在は? [事件]

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先日、オウム真理教の麻原彰晃の死刑が執行されました。

麻原彰晃には正式な配偶者である松本知子(当時)の他に何人もの愛人がおり、子供の数も12人~15人いるとも言われています。

麻原の遺体はすでに火葬されましたが、遺骨の引き取りは親族にしかできないので、いま話題になっていますね。

長女と4女を除く妻を含めた5人の家族は、遺体と対面したそうです。

正妻の松本知子の子供6人についてまとめてみました。

(子供の数が多くて、愛人の子供までは手が回りませんでした。後日追加するか、別記事を書きます)

松本知子の6人の子供たち(娘4人、息子2人)
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名前   松本知子 ⇒改名して松本明香里(まつもと・あかり)
ホーリーネーム:マハーマーヤ ⇒ ヤソーダラーに改名
教団での地位は正悟師(上から5番目)
省庁制の際には郵政大臣(印刷・出版物、ビデオ編集)
生年月日 1958年8月17日(2018年で59歳)
出身地  千葉県木更津市

松本知子(現在は改名し松本明香里)は、代々木ゼミナールで松本智津夫(麻原彰晃の本名)と知り合い結婚しました。
プロポーズの言葉は「ふたりの結婚は前世からの約束だった」。
ちゃんと伝えろよ。

その後は松本智津夫の鍼灸院や漢方薬局を一緒に経営していましたが、生活は苦しかったということです。

松本智津夫がオウム真理教が発足させると、妻の知子は教団内で郵政省大臣に任命され、事実上の教団NO.2の地位になりました。

松本知子は薬剤師リンチ殺人事件への関わった容疑で逮捕、出所後は松本明香里と改名しています。

少々ヒステリックな一面があり、口論になると手がつけられなくなることも。けっこう気が強い人だったようです。

↓↓↓三女は、2017年に母から一方的に絶縁を宣言されたと言っています。


次男とは行動を共にしているようです。

アーレフからの生活資金援助を受け続けていることが分かっており、オウム真理教の後継団体アーレフの運営に関わっていることが疑われているので、少なくとも「自分は教団とは無関係」と意思表明をしている子供たちとは距離を置いているのでしょう。

現在、妻と次女、三女、長男、次男の5人は連名で麻原元死刑囚の遺体引き渡しの要求書を上川陽子法相に提出していますが、神格化を恐れている公安当局ともめており、すったもんだの最中です。

妻は教団とまだ繋がっている様子ですので、利用されそうですね。

【関連記事】
麻原彰晃の子供たち 石井久子など愛人たちの現在
オウム真理教の青山吉伸弁護士の今現在は?オウム随一の強運の持ち主! スポンサーリンク 長女:松本美和
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1978年(昭和53年)生まれ(2018年に40歳)。
ホーリーネームはドゥルガー(インドの最高神・シヴァ神の妻の一人で戦の女神)。
教団での地位は正悟師(上から5番目)。
省庁制の際には流通監視省大臣(供物・被服、教団内の食事担当)。
教団施設を退去後、女性信者らとともに車で国内を「放浪」していたらしいです。なんかね…。
その頃の2001年1月、東京都北区のスーパーで食料品ばかり2万2000円相当を万引きし、逮捕されている。
取り押さえられたとき、「私は木更津の女王だ。無礼者」などと叫んだという。
(母親の実家に身を寄せていたのかな?)
兄弟のなかで差別的待遇を受けていたとされ、その後三女(麻原に一番可愛がられていた)らと対立、オウム教団が「アレフ」と改称した際にも加入しなかった。この万引の際は、同行していた信者などもいなかったといい、すっかり孤立していたとみられる。
この万引き事件の前年の4月には交通事故を起こし、車内でろう城するなど銃刀法違反の疑いで逮捕されています。

なんか家庭環境に同情する面が多いですが…今頃どうしてるんでしょうか。
教団なんて同調圧力がクソ強い集団の中で、トップの娘として生まれながら、あんまり親の寵を受けられなかった立場は、辛かったろうなあ…。
まだ麻原が曲がりなりにも鍼灸師として働いていた頃に生まれた子ですが、世間の常識を知らずに育つのって、怖いですね。
私は当時の報道を覚えている年代ですが、お姉ちゃんなりに頑張ってたよねえ…。
現在、情報の露出が最も少ない人で、オウムとの接触は完全に絶っているようです。


次女:松本宇未(仮名)
本名は公開されておりません。
1981年(昭和56年)生まれ(2018年に37歳)。
ホーリーネームはカーリー。
麻原からは「カーリーちゃん」と呼ばれていた。
2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で逮捕され、保護観察処分となった。
麻原詐病説などについて四女と真っ向から対立し、四女はマスコミ受けの良い話をして金を得ていると批判しています。
なんとご本人がブログを開設しています。target="_blank">⇒木の葉が沈み石がうく
妹や弟のことは触れていますが、姉への言及は無し。
弟と一緒に麻原に面会に行っていたようです。
今後も名前を出すことなく、「逃げきるつもり」とのこと。
麻原のしたことは許せませんが、子供には関係ないですよね。
ブログを読んでいると、一番ふつうの普通の女性のような印象を受けます。
人生のハンデは、重いですね。


三女:松本麗華(りか)
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1983年(昭和59年)生まれ(2018年に35歳)。
元オウム真理教幹部。教団内の地位は麻原に次ぐ正大師。
省庁制の際には法皇官房
 (神聖法皇直属機関。各種イニシエーションや省庁間の調整、実質的には石川公一が活動)

小学校や中学校には通えず、小学校3年時から通信教育を受けていた。
1995年上祐史浩が逮捕された後はしばらくの間、実質、教団のトップに立つ。
2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。
日出高等学校の通信制(単位制)を卒業。
和光大学に合格するも、後日入学拒否され提訴。東京地裁は「入学拒否は違法」と認定し大学に30万円の慰謝料支払を命じた。
2004年に文教大学人間科学部臨床心理学科に入学。大学では心理学を学び、2008年卒業。
日本産業カウンセラー協会、日本人間性心理学会所属している。

麻原に一番可愛がられていて、子供の頃から後継者としての教育と寵愛を受けていました。
当時の報道でも、一番注目度が高かった子供です。

わがまま放題で育ったのかと思いきや、周りからは教団の教祖の娘として甘やかされて育ったと思っていましたが、実際はかなり厳しく育てられたようで、ヘッドギアを付けた修行や食事内容など、すべて教団の信者たちと同じような生活を送っていたそうです。
(でも、他の信者に対する横暴はすごかったそうです。ストレスもあったのでしょうね)

一番可愛がられたためか、父親に対する思慕の情がとりわけ深く、麻原を包容力のある父親と思っていて「大好きな父」という表現を使っている。
ずっと次女や弟と麻原の面会にこまめに通っていました。

母親で元オウム幹部の松本知子と他の兄妹らで麻原彰晃の遺骨を要求しています。4女とはかなり激しい対立関係。
彼女もブログを開設しています。⇒お父さんわかりますか?


四女:松本聡香(さとか、仮名)
m_E59B9BE5A5B3.jpg 1989年(平成元年)生まれ(2018年で29歳)。
ホーリーネームは無し?
省庁制の際には諜報省
 (教団の非合法活動に必要な情報収集、拉致、非合法活動を担当、実質的には井上嘉浩が活動)
ステージは正大師よりも上の正報師。三女よりも霊的に優れた力を持っているとされ、大切に、お姫様のように育てられました。

茨城県龍ケ崎市に転居した時は、市の方針でその市の学校の転入拒否で、2人の弟共々学校にも通えなかったといいます。

協力者達のお蔭で何とか学校に通えるようになったものの、彼女がよそった給食だけ受け取ってもらえなかったり、行事でクラス写真が掲示板に貼られれば彼女の顔に穴があいていたり、中学では男子からの暴力もうけたそうです。だ、男子からって…。
毎日学校から帰るころにはあざだらけになっていました。通信制にしなよー!
中学の校長からは「父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ」とまで言われ(いくらなんでもひどい)、家周辺から通学路にまで「オウムは出ていけ!」という看板がたくさん貼られていました。
母親が出所しても定職に就かないで信者からのお布施で生活をするなどしていて、そういう家族の行動が嫌で、何度も家出をしたそうです。

なんだかさ、4女の方がよっぽど修行僧らしいような…。

当時対立していた上祐氏、村岡氏の両側から「教団を手伝ってほしい」と言われてても身を引きましたがその後、14歳の時にジャーナリストの江川紹子さんが後見人になり、江川さんのもとに身を寄せました(18歳で辞任)。
※江川さんは「元オウム信者に接触しないこと」を後見人の条件に挙げていましたが、どうも聡香さんは江川さんに内緒で元信者と接触し、「裏オウムグループ」を作ろうとしていたことが原因らしいです。このことを指摘されると、聡香さんは黙って江川さんの元を去っていったそうです。10代後半の黒歴史ってことでしょうか。
16歳の時にインターネットで地下鉄サリン事件のことを初めて知ったとのことです。

2010年には松本聡香の名義で『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~』 という本を出版。
周囲からは大切にされていたけれども、実際はほかの信者と同様に熱湯ぶろに入らされたり、カロリーが非常に制限された粗末な食事しか与えられなかったり…と、虐待のような日々を「死なないために」生き抜いたことが記されています。

漫画喫茶に寝泊まりする等、他の兄弟とは一線を引いているようです。
少なくとも著書内において彼女の教団に対する思いは、働いてお金を稼いで自立して、オウム事件の被害者の方に賠償したいというスタンスを取っています。

麻原彰晃が死刑執行前に自分の遺骨の引き取り先を、この4女に指名しました。
聡香さんは遺骨の引取りについては「身の危険感じる」という理由で拒否しています。
※2018.8現在、棚上げ状態です。

※2018.8.26追記 池上彰特集で四女が生出演しました。
終始、父親のことを「麻原」「松本死刑囚」と呼び、被害者や視聴者の方への配慮が感じられました。

刑務所に麻原の面会に行ったときのことなどを、四女の聡香さんは話してくれました。。
「自分の存在を実父がよく覚えていたんだな」と思った。
「自分自身のこと以外にはまったく興味・関心をもたない人間だと思っていたから、私の名前を覚えていたこと自体が驚きだった」
「教団施設で育ち、普通の家庭ではない。一緒に寝たことも食事も風呂も入ったことがない」
「自分も尊師と呼んでいた」
「麻原に抱っこされている写真はあるが、子供はイメージづくり、アピール用の写真」
「6歳まで父親と一緒にいた」
「松本の子供は全員保護されなかった 施設や、お付きの信者がいる環境で育った。自分は16歳で脱出した」
「刑務所に行ったとき、2回だけ意思疎通ができた。
2007年年3月 面会に行ったとき、自分の名前を呼んだ。
2008年6月梅雨空で肌寒い日だった。そのことを呟くと、麻原が今日は結構寒いねって返された。
⇒(麻原)実母が会いに来てないみたい。
⇒(四女)まばたき、困惑、私はまだ若いから男女のことはわからない
⇒(麻原)本当にそうだね、と返された。
ちゃんと会話ができたので、麻原は詐病なのだと確信したとのことです。

四女の聡香さんは、「教団が怖い」と言って、終始怯えていました。

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長男
1992年生まれ(2018年で26歳)。
1992年教団から皇子・猊下の称号を与えられる。
ホーリーネーム:鏡暉リンポチェ猊下
四女と同じく何も知らないまま学校に通えなかった。
1996年(平成8年)6月に教団の教祖となる。

2001年4月から9歳でやっと小学校に通い始めることができたけれど、当時は報道陣が小学校に詰めかけ、すごい騒ぎになりました。
ひと騒動ありましたが、「いくらなんでもやりすぎなじゃないの」という声も上がったのも事実。
後に学校から受け入れられ通学できることになり、友人も出来た模様。よかったよかった。
現在はどうかわかりませんが、次女と三女と暮らしていたようです。

関東の大学に進学、勤め先はわかりません。

2014年にアーレフが、自分の名前と写真を無断で教団活動に使用したことに対しての訴えを起こしますが、敗訴します。これは教祖でなければできない儀式に参加しており、教団の関わりや影響力がないとは言えないというものでした。要約すると「自分の誕生日を勝手に祝うな」という趣旨の起訴だったので、本人にとっては迷惑すぎますよねこれは。
さすがに同情します。

テレビ東京の番組で麻原彰晃の後継者になる可能性があると報じられ名誉を傷つけられたとして、放送したテレビ東京に1000万円の損害賠償を求めた訴訟を起こしています。しかし東京地裁は2018年3月15日、長男の請求を「真実性がある」として棄却しました。本当に縁を切っているのならば、これまた想像を絶する迷惑度。

少なくとも長男は麻原や教団とは無縁の生活を送りたいと強く思っていることがうかがい知れます。

次女・三女とは連絡をとっているようです。


次男
1994年(平成6年)生まれ(2018年で24歳)。
教団から皇子、猊下の称号を与えられた。
ホーリーネーム:璽暉リンポチェ猊下
1996年(平成8年)6月に教団の教祖となる。
小学1年生は1学期しか登校しておらず、その後は茨城県龍ケ崎市に引越し、四女や長男同様に何も知らないまま学校に通えなかったが、協力者のお蔭で学校に通うことが出来た。
しかし、約8か月も学校に通えていない時期が続いていたため、小学2年生から学校生活を正式にスタートしました。

春日部共栄中学(偏差値最高65くらい)に合格後、学校から麻原彰晃の息子という理由で入学拒否を受け、損害賠償請求を起こしています。入学できたのかな?

教団に一番近いとされる母親と連絡を取っているようです。


まとめ
他にも麻原彰晃は、オウム真理教幹部である石井久子との間に3人、同じく信者の木田裕貴子との間に1人、その他に母親がわかっていない子供が2人います。

麻原彰晃の死刑が執行され、ひとつの区切りはつきましたが、全員が「子供は親を選べない」という典型の人生を歩まされているようです。

公安に睨まれていると、海外に行くこともできないのかなあ?行き先の国のビザが降りない事情があるのかもしれません、日本国内で生活するのはハードモードすぎると思うのですが…。

今後、子供たちから別の証言が出てくるのかもしれませんが、親の罪と子供のことは別次元のことですので、穏やかに生活して欲しいと思います。

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